2013/6/13   思い立てば自分の写真集はそこに在る
 写真展を開催するにあたって、展示作品を元に作成したというフォトブックをいただいた。これは会場でも見ることができるけれどミニマムな写真集だ。
 富士では一般客向けに手軽なフォトアルバム制作サービスとして、このフォトブックを展開している。これは単なるアルバムかそれとも写真を撮る者には憧れの「写真集」なのか。私は一気に20年余の時を超えて自分の最初の写真作品集を制作した時に思いを馳せた(写真・20年余の時を経た2冊、全てがアナログな処女作と全てデジタル撮影デジタル処理のフォトブック)。今回の写真展のタイトルが「花火讃歌digital」なのは、処女作にこのタイトルを付けているからなのだ。
 私の世代だと、資産家の写真家でもなければ、写真集を制作、出版するなんていうのは生涯に一度叶うかどうかの夢のまた夢だった。
 出版社が全額出資で写真集を企画制作してくれるなんていうのは、それが売れることが確実な超有名な写真家だけの話で、そうでなければ今でも持参金付き、つまり著者が制作資金を全て出し、出来た本はほとんど著者が引き取るなら(出版社の倉庫も余裕無いですからね)出版してやるよ、というのが普通だ。写真集を作ると言っても著者は本造りについては何もわからない。だから写真原稿を渡して、それを本の形にしてくれるのは出版社のノウハウというわけで、全てお任せだからその作業にも金がかかる。編集、レイアウト、印刷、製本というこの過程には多大な費用がかかるのだ。特に商業印刷でネックになるのは、10冊や100冊程度の少部数では印刷所にとって客として相手にされないほど、少ない数だということだ。最低でも500部、万単位で印刷する業界では、1000部程度では、ようやく印刷機の調子がでてきたなぁという程度の肩慣らしの捨て部数。現実にその程度の数くらいは慣らし運転のために捨て印刷するくらいの端数。だから捨てる部分を含めて莫大な金額も負担することになるのだ。
 金のない私もそうした自費出版をするか?それとも写真展を開くか二者択一だった。若い私は作品を世に出したかったし、名前も作品も売れて欲しかった。どっちも、しかも何度もそれが出来るのは金持ちだけだ。私は物が残る写真集を選んだのだけど制作にあたっては、1ロットで500冊単位とか膨大だった。
 当然総額も高くなる。それでも私は写真集を出版したいと願っていたときに渡りに船でそういうニーズ向けに大手印刷会社が小ロットの自費出版を請け負うという新しい「BeeBooks」というシステムに出逢った。印刷会社はオフセット美術印刷では当時日本でも屈指の会社だった。写真再現や価格もさることながら、このシステムには個人では取得不能な「書籍コード」が付くのが大きかった。
 金がふんだんにあれば、自分で印刷屋に持ち込み、製本屋に持ち込み、写真集は作れる。しかしその後は行商だ。それは本のかたちはしていても、書籍流通の世界では本の資格がないのだ。
 巷の書店に本を並べるためには、出版社の出版する本を取り次ぎ店を通して全国の書店に配本して貰わなければならない。その時に必要なのが一冊ずつ、かつ出版社ごとに割り振られる「書籍コード」で普通は日本の場合「ISBN」ではじまる数字の17桁の文字列(ハイフン除く)がバーコードとともに印刷される。このコード番号で流通を管理しているし、書店からの注文や取り寄せもこのコードが必要。つまり書籍コードの無い本は、書籍流通システム上では本ですらないのだ。
 これがなければ、書店を自らまわって置かせて下さいと頼むしかない。インターネットの無い時代では、自費本を宣伝し自ら販売する手だてが限られるのだった。
 私は借金して車が楽に買えるくらいの(現行プリウスが新車で買えるくらいですかね・・・)金額で処女作品集を自費出版した。
 出版関係のデザイナーである私は、本造りの工程全てを了解していたし、写真集の全ての体裁をデザインすることは容易で、そこを外注する必要はなかった。処女作は自分の写真、そして自分でレイアウト、装丁デザイン、原稿も全て自前という、マイセルフフル装備の自費出版写真集だったのだ。それは世界に無い、花火写真だけの写真集だったのでどうしてもやりたかった。
 私は、一冊の本の中で花火大会を開催したかった。
 そして写真の数だけ、ほぼ全ての作品にその花火作家または煙火店の名前が記されることも初めてで画期的なことだった。それまで花火の写真がその製作煙火業者の屋号と共に世の中に出ることなど皆無だったからだ。
 それから幾星霜。ネットの時代になり、それ以前に出版やデザインはPCで行うデジタルの時代になった。その後オンデマンドというDTPから派生し、必要なときに必要なだけ印刷というシステムから少量の自費写真集が手軽に造れるサービスが数々生まれて普及していった。かつて商業印刷は500部1000部なんていうのは序の口の半端な数だった。印刷は500も1000も値段は対して変わらないとう世界だ。冊数が増えれば単価は下がるけれど、総額も大きい。
 金持ちで、製本済みの写真集を全て引き取るだけの自宅に蔵でもある暮らし、でなければかつて写真集など無理だったのだ。だから花火という専門ジャンルで何度も持参金付きの出版できる人は相当の資産家だということができる。
 私が利用した自費出版システムだが、これはもともと出来た本は印刷所で管理して、流通ルートにのせることまで含まれていた。しかしアクシデントが発生。この自費出版システムを運営していた印刷会社が建て替えのため在庫(印刷物)を全て著者に返すことになったのだ。在庫が無くなるまで印刷所の倉庫で保管されるはずの書籍の山が著者の所に一気に戻されることになった。私の場合それは1800冊を超えていた。
 現在の住処に引っ越す前のことで、もの凄く狭く途方に暮れた。ひと箱に50冊ずつ入った段ボール箱が30箱以上強制的に送り届けられるはめになった。
 しかしここでまた奇跡の遭遇があった。書籍関係の展示会をぶらついていると、なんと個人向けに蔵書を書籍専用の倉庫で有料で預かるサービスを始めたばかりの会社がブースを出していた。またまた渡りに船だった。私はすぐさま契約して送り返された著作の山を、直ちにこの倉庫サービスに転送して自宅が段ポールで埋まることを避けられたのだった。このJCC(カルチャージャパン)の保管システムは、処女写真集の在庫がほとんど無くなった現在も、蔵書の一部を保管するのに利用している。
 富士フォトブックは、銀写真プリントまたはオンデマンド印刷を製本するという手法で、たった1冊から写真集(というとおおげさだが、アルバムと考えると身近かもしれない)を作ることができるサービスだ。しかも依頼はネット上からできて、かつてノウハウが無ければ叶わなかった出版社や印刷屋との専門的なやりとりも必要ない。デジタルカメラで撮ったデータを処理して、並び順(レイアウト)を決めるだけだ。
 書籍コードは付かないけれど、何百冊も作らなければ注文出来ないわけじゃない。アマチュアが売り込みや知人に配るのに必要充分な冊数を制作すればいいのだ。
 私も花火愛好家、花火写真愛好家の何人かから、こうした自作品の写真集をいただいた。高品質なプリントあるいは印刷の写真集が安価にそして1冊だけでも制作できる現在はとてもいい時代と思う。
 気に入った写真作品が20点あれば、立派な写真集ができる。それで一番小さいサイズ150ミリ×150ミリなら、1冊約3000円と格安だ。ちなみに私の写真集の単価は最低でも500冊も作らなければならなくて、もし500冊なら単価は5000円になっただろう。そのうちの1冊。つまり必要な1冊を得るのに500倍の費用がかかる。それを考えたらなんという安さだろう。
 投稿サイトから数々の有名人が生まれているように、「自分はこんな写真が撮れるんだ」とアピールすることはネットでいくらでも可能な時代だ。スマートフォンで自前のフォトデータをいくらでも繰れるわけだけれど、冊子になった写真は格別の佇まいと存在感がある。気に入った写真作品をどういう編集やストーリーでも構わない。一冊にまとめてみてはどうだろうか?
 しかしロットが多く制作費もまともな商業印刷のために高くなってしまうBeeBooksがいまだに続いていることに驚き、感極まるほど嬉しいのだ。